2017年05月19日

オリエンタルラジオ中田敦彦の語る都市伝説「ノーベル賞の闇」

これはオリエンタルラジオの中田敦彦さんがテレビで語った都市伝説。

日本人にとっての初めてのノーベル賞は、湯川秀樹さんが受賞したもの。

ただこの湯川秀樹さんよりもはるか前の、明治末期に本来ならノーベル賞を受賞していたはずの人物が存在した。

その人物の名前は鈴木梅太郎さん。

梅太郎さんは、東京帝国大学(今の東大)の農学部の教授だった。

この方が何をしたのかというと、脚気(かっけ・病名)の治療法を発見したのだ。

今でこそ治療法がはっきりしている脚気だが、この当時は原因不明の難病だった。

結核と共に二大国民病だった。

最後は死に至る恐ろしい病気だ。

日露戦争において、戦死した兵士の数よりも脚気により死んでしまった兵士の方が多かったのだとか。

当時は、脚気は伝染病ではないか?とも考えられていた。

しかし、梅太郎さんは「脚気は伝染病ではない」と主張した。

「これは伝染病ではなく栄養問題だ」と言って、治療に必要な成分まで突き止めた。

ビタミンB1である。

今でこそ栄養問題をビタミンで解決するのは、日常的な話題であるが、当時はまだ「ビタミン」そのものが発見されていなかった時代だ。

鈴木梅太郎さんが、ビタミンB1を発見した瞬間に、人類がビタミンを発見したときだったのだ。

いかにすごい発見をしたのかが良くわかる。

発見したビタミンB1を元に、多くの人命を救った梅太郎さん。

まさに人類を救った救世主である。

本来ならノーベル賞間違いなしだ。

なのに、なぜノーベル賞を受賞できなかったのだろう?

実はそこに怪しい陰謀が隠れていた。

梅太郎さんは、この論文を日本語でまとめた。

それをドイツ語に翻訳してもらい世界に発表した。

だが、翻訳してもらった際に大切な部分が抜け落ちていた。

さらにはところどころに誤訳もあった。

それにより世界の人たちにうまく論文の内容が伝わらずに、受賞を逃してしてしまったのだ。

なぜこんな初歩的なミスが発生してしまったのだろうか?

実はこの背景に大きな組織対立が絡んでいた。

その組織の対立というのが、「ドイツ式医学」と「イギリス式医学」だった。

当時の世界の主流はドイツ式。

今の日本の医学の土台もドイツ式だ。

「カルテ」や「アレルギー」なんかもドイツ語なのだ。

ところが、そのドイツ式医学こそが脚気を「伝染病である」と主張していたのだ。

梅太郎さんはイギリス式の流れをくんでいた。

もしも梅太郎さんがノーベル賞を受賞したら、ドイツ式医学の権威たちは恥をかいてしまうことになる。

だとすると、意図的に誤訳を指示していた可能性は否定できない。

結局、梅太郎さんは受賞はおろか評価すらされることはなかったという。

あろうことか、その後に海外の研究者が後追いでビタミン研究をして、その人がノーベル賞をしてしまった。

その梅太郎さんは、理化学研究所の創設者でもある。

理化学研究所で近年、大きな論文トラブルがあったのは多くの人が知っている。

オリラジの中田さんは、「科学の進歩の裏にはいつの世も、人の闇が広がっているのかもしれない」と締めくくった。

これはあくまでも都市伝説としてのことなので、信じるか信じないかはあなた次第。

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posted by 管理人 at 21:46 | お笑い芸人